熟成55年もの (2011年9月7日)
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私はスコッチウィスキーが大好きでした。なかでもマッカランがお気に入りでした。12年ものより古いものは、古くなるにつれ、より豊かなコクとまろやかな口当たりが楽しめます。一方、12年ものより若いものは、まろやかさやコクは望めませんが、古いものにはないストレートな香りと瑞々しさや弾けるような爽やかな刺激が口いっぱいに広がります。年代の若いものには若いものなりの良さがあり、古いものには古いもの故の良さがあります。
今回、何の話をしようとしてるのか、もうお分かりですよね。私も今年で55歳です。体のあちこちが傷んでいます。白血病を患ったこともあり、毎日、体がだるく感じられます。頭もめっきり物忘れがひどくなり、簡単な言葉がどうしても出てこず、愕然とすることがよくあります。人間、年を重ねるとともに、いろいろ失くすものが確かにあります。一方で、年を重ねるにしたがい得るものもまた、たくさんあります。長年の経験や知識の積み重ねにより得られる知恵や分別があります。また、数々の失敗や成功の体験から得られた洞察力や忍耐力もあります。そして、たくさんの悲しみや喜びから得られた豊かな感情があります。そう考えると、人間には年を重ねることで、失うものより、得るものの方がたくさんあることに気づきます。若いころのように、生命力にあふれ、はち切れんばかりの肉体は、もはや望むべくもありませんが、若いころ以上の熱い情熱や、限りない好奇心や、飽くなき探求心は、心がけ次第で決して失われることはありません。
ウィスキーの熟成はただ寝かせておけばいいというものではありません。品質保持のため、様々な手間をかけ、長期にわたる管理が必要です。それと同じように、私たち人間もただ年を取ればいいというものではありません。人間として、程よい熟成を得るためには、多くの人たちと関わることで、自分自身が人間としての成長に努めねばなりません。人の見方や、世の中の捉え方が若いころと違って当たり前の話です。また、そうあらねば、人間としてとても残念なことです。
最近、私はとても素敵な人に出会いました。私より一回り上の男性です。初めて会ったときから、私の面倒をあれこれと見てくださり、とても親切で思いやりにあふれた方です。その人のお話を聞くだけで、その人のそれまでの人生の奥深さが感じられ、人間としての懐の大きさに圧倒されています。その人の、人との接し方は、きわめて自然であり、何ら気取ることなく、いたずらに取り繕うことなく、ほのぼのと暖かく、慈愛に満ちています。この人は、どんな人生を歩んでこられたのか、是非、知りたいと私は思いました。おそらく、以前の私であれば、その人と出会っていたとしても、その人のことをこれ程までに評価することは無かっただろうと思います。頭がよく、気のいい、どこにでもいるやさしいただのおじさんとしか見なかっただろうと思います。私自身が大病を患い、会社を倒産させるという大変な経験をし、たくさんの人たちに助けられ、支えられ、家族、親戚、友人のありがたさに気づいた、今だからこそ、その人の素晴らしさが私に見えるのだと思います。私自身が変わったことで、人の見かたも変わりました。
私はその人と、今、このときに出会えて本当に良かった、そして幸せだと思っています。私もようやく熟成55年ものになったようです。これから、今以上にいい香りと味を出せるよう努めたいと思います。そして、いつの日か、私もその人のように、謙虚で、穏やかで、情があり、安心感のある老紳士になりたいものです。