真っ当に生きる (2011年9月26日)
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先日の台風が過ぎ、すっかり秋めいてきました。朝晩急に温度が下がり肌寒くなりました。私も思わず、衣替えをした次第です。この間、ある人の話を聞き、たくさんの秋を思い出させてもらいました。読書の秋に始まり、食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋などたくさんの秋を感じさせて頂きました。私たちはいろんな出来事を四季折々の風情として何々の秋、何々の春というように表現します。生活のなかでしっかりと四季を感じながら一年一年生きているものです。
今年の私の秋は感傷の秋で始まってしまいました。先日、取りとめのない、どうでもいい話からつい、妻と長女二人相手に口論をしてしまいました。多分に漏れず悪いのは私でしたが、素直になれず、いまだまともに会話をしていません。ここで血液型の話をすると、そういう問題じゃないのではと言われそうですが、私の家族はすべての血液型で構成されています。私がA型、妻がB型、長女次女がAB型、そして長男がO型と、みごとにみんなそろっています。一つの人間社会ができています。ある意味で社会の縮図とも言えますが、そのおかげで家族の調和が保たれているのかもしれません。A 型の私は良く言えば、繊細で気遣いがあると言え、悪く言うならば神経質で気難し屋です。B 型の妻は良く言えば、明るく朗らかそして大らかですが、悪く言えば単細胞で無神経です。私はわたしのような人間ばかりの世の中では、暗く陰湿な社会になると思っていますし、妻のような人間ばかりでは、いい加減な世の中になるだろうと思っています。世の中、私の家族のようにすべての血液型の人間がバランスよくいることで上手く成り立っているのだと、つくずくそう思います。
そうそう、口論の話でした。私は妻が明るく朗らかで細かいことにこだわらず、何事にも前向きで誠実であってくれたおかげで、数々の難局を乗り越えることができたと思っています。また、私にはない妻のそういうところを好ましく思っています。しかし、たまに、悪く言えば無神経なところに、かちんとくることがあるのです。良いところの裏返しのようなものですから、冷静に考えれば何も怒るほどのことではないのですが、たまに無神経さにいらだってしまうのです。おそらく妻からすれば、そんな小さなことを気にするなんて馬鹿じゃないと思っているでしょうし、神経質すぎて私には分かりませんとも思っているでしょう。人間て不思議なものです。自分の考え方次第、心の持ちよう次第で良くも悪くも見えるものです。出来ることなら、いつも自分の心の持ち方を整えておかなければと、今反省しています。そんな出来事があって、今年の秋は感傷的に始まってしまいました。
私は今回の人生、いろんな経験を十分にさせてもらっています。仕事も遊びも人様以上に楽しませて頂きました。また大きな挫折も味わわせて頂きました。そんな私ですが、一つ大きな声でみなさんに言えることは、今まで人生真っ当に生きてきたということです。人間として真っ当に喜び、悲しみ、苦しみ、悩み、そして笑ってきました。人間の深さや滋味はそのひとのたくさんの経験の積み重ねによるものです。どんな困難なときも真っ向からぶつかり、真っ直ぐに生きることで味がでるのです。そんなとき、いつも妻がそばにいてくれました。妻は私以上に、馬鹿がつくほどの正直者でお人よしです。演歌じゃありませんが、妻のおかげで、私の人生真っ当であったと思っています。A型、B型すべてが真逆の二人ですが、二人で歩いてきた道は決して平坦ではありませんでしたが、真っ直ぐな一本道でした。そして、真っ当な人生です。