失敗からの回復力 (2011年10月1日)
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昨年、梅雨入り前、奈良へ妻とふたり出かけたことがありました。その春に会社を倒産させて以来、大阪の親戚宅で妻とふたり居候させて頂いていました。そんなときの束の間の奈良への小旅行でした。若草山近くに百毫寺という真言律宗の寺院がありました。早朝の参拝でした。お参りを済ませ帰ろうとしたとき、お坊さんが掲示板の張り紙を取り換えようと現れました。何を張り替えているのかと見ておりましたら、それは寺の住職が書く今日の言葉でした。そこには「飛び込んだ 力で上がる 蛙かな 」と書かれていました。いまだ傷心の私は、その言葉を見て驚いてしまいました。まるでその日に私が参拝するのをご存じであったかのような、私への励ましの言葉でした。仏様が私に語られているかのように思われました。倒産という大きな失敗をしても、希望を失わず日々精進を重ねれば、いつの日にか必ず、また浮かび上がることもある、そして大きな失敗であればあるほど浮き上がる力は大きいと、そう言われているような気がしました。妻とふたり、奈良に来てよかったと思ったものです。
長い人生には、成功も失敗もあります。成功している人は、より一層の努力が必要であり、ずっと成功し続けることはあり得ないことです。大切なことは失敗したとき、どう対処するのかということです。その対処を間違えれば、長きにわたり苦悩し続けねばなりません。まず、大切なことは失敗者には時間が必要だということです。失敗した後、誰もが心に傷を負います。この傷を癒すにはそれなりの時間が必要です。体いっぱいにあったエネルギーが一瞬にして流れ出たのです。そのエネルギーを再び蓄えねばなりません。それには時間がかかります。しかし、多くの人は十分にエネルギーが貯まらぬうちに、焦りから動き出そうとします。そうすると必ずどこかでおかしくなってしまいます。周りの人も、そのことを理解して欲しいのです。まだ、動き出すには早いよ、もう少しゆっくり休みなさい、と声をかけてやって欲しいのです。
次にやるべきことは、失敗により心にできた穴を塞ぐことです。これには家族の思いやりと愛情が一番効果があります。そして、欲を言えば、親戚や友人のやさしさがあればなおさら効果的です。人間は弱いものです。失敗した後は特に弱いのです。そういうとき、叱咤激励より癒されることが、ありがたいのです。心の穴が塞がるにしたがい、回復しようとするエネルギーが貯まり始めます。
そして最後に大切なことは、失敗を認め受け入れることです。誰かのせいにせず、すべてをただ受け入れることです。素直に反省し、失敗の原因と理由を明らかにし、失敗にけりをつけることです。こんな情報化の世の中ですから、失敗を隠すこともままなりません。わざわざ吹聴することもありませんが、場面や相手によっては正直に話すことも必要です。世の中、失敗から学ぶことが多いのも事実です。失敗を糧に生きればいいのです。「禍福は糾える縄の如し」ともいいます。成功と失敗に一喜一憂せず、大らかに人生をとらえましょう。
ここまできたなら、十分回復しています。それまでより忍耐強く、辛抱強く、打たれ強くなっていることでしょう。生き続けることの大切さを理解し、失敗への免疫ができ、少々の失敗には、もう負けることはありません。失敗からの回復力は力強いエネルギーです。飛び込む力が強ければ強いほど、浮き上がる力は強いのです。