めざしの土光さん (2012年2月3日)

敬天愛人箚記

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人間誰もが、大人になると自立を求められます。学業を終え、就職するか、起業するか、はたまたフリーターとして生きるか、いずれにしろ自力で己の食い扶持を見つけねばなりません。なかには、いい年なのに親に面倒みてもらっている引きこもり族もいるようです。取りあえず、自活できていることを自立と言いましょう。

今日、ビジネスシーンで経営者はもちろんサラリーマンにも求められるのは、自立ではなく自律なのです。社会人にとって自立は前提であって、当たり前のことです。己の力で立つだけでなく、己の進む道を決め、歩き方までも自分で決めねばなりません。大手企業の経営者から中小企業経営者に至るまで、今、求められているのは自律力です。最近の相次ぐ企業不祥事の原因の多くが、経営者に自律力があれば防げたに違いありません。

オーナー経営者は人一倍独立心が強く、早くから自立することを探求してきました。始めた事業がうまく回りだすことで、成功体験を得ます。実は経営はここからが本番なのですが、成功した状態を続けねばなりません。現実では、事業経営において一時の成功で終わってしまうのが多いのです。こうしたときの原因の多くは、経営者の慢心、驕り、見栄、独りよがりなどによる甘えです。成功者が失敗者になるのは簡単なことです。成功しているときに、経営者が謙虚であり、自らを律することができたなら、失敗にいたるまでに止まることができたであろうと思われます。

一方、サラリーマン社長の場合、どうでしょうか。入社以来、組織の中でエリートとして順調に階段を上がってきた人、苦労を重ね、地道に真面目にコツコツたたき上がった人、組織のなかの人間関係を巧みに泳ぎ渡り頭角を現した人など、いろんなキャリアをもった社長がいます。彼らの多くが、社長になるのが目的であって、社長になって会社をどうするかということは二の次です。大企業であればあるほど、トップになるまでに、たくさんの同僚や先輩たちとの激しい競争のなかから勝ち上がってきた訳ですから、トップに上り詰めたときには、精も根も尽き果ててしまい、なんてこともなきにしもあらずです。そんな想いをしてまでなった社長ですから、自分を誇りに思うでしょうし、自慢であることは当然のことでしょう。そんなサラリーマン社長ですから、オーナー社長以上に傲慢で尊大で居丈高であっても仕方がないのかもしれません。まさに、天下を取った気持ちなのでしょう。経営者としての能力や資質と関係のない、組織人として生き残るすべに長けた社長が多いのが現実でしょう。経営者の器でない者が、トップに立つことほど不幸なことはありません。そのような社長に自律を求めることは、大変難しいことだと思われます。

人間、自立することは人間としての誇りを維持するこでもあります。そのうえで、人の上に立つためには、ストイックなまでの厳しさと謙虚さに裏付けられた自律力がなければなりません。己を律することは簡単ではありません。人間とは弱いものです。自分にとって都合がいい居心地がいい状況に甘んじてしまいます。私も含め、ぬるま湯が大好きです。しかし、そんな社長に誰が信頼を寄せるでしょうか。経営者には強い意志と信念、そしてこれからの進むべき方向とビジョンを明確に示すことが求められます。また、経営者は己の使命を全うするため、常に己を律する術を心得ておかねばなりません。

組織のなかで長い不毛な消耗戦を経て、人間としての当たり前の感情が枯れてしまった社長、組織のトップの座に付いたことで、その権力を己れ本来の力と勘違いしてしまった社長など、病めるリーダーの多いことが現代社会の大きな問題です。かつての「めざしの土光さん」のような企業トップが、今また、求められています。