私の「尚友」の話をしよう
ビジネスコラム 「尚友」という言葉がある。『孟子』に出てくる言葉だ。さかのぼって古人を友とするという意味だそうだ。非常におこがましい話だが私の尚友は孔子と孟子になって頂いている。孔子は聖人、孟子は亜聖といわれている。そのような偉人を尚友と云うのは誠に不敬この上ないことと自分でも思うがお許し願おう。孔子は紀元前500年前後、孟子は紀元前300年前後に活躍された。
孔子が生きていた時代を春秋時代、孟子が生きていた時代を戦国時代という。どちらの時代も統一された王朝がなく群雄割拠とした時代である。孔子が生きていた頃は周王朝の末期ともいわれ、周王朝とは名ばかりの存在であり群雄が覇を競っていた。孟子の時代には群雄が覇でなく王を称するようになり7つの大国が競う時代であった。
共に今でいうなら経営コンサルタントだ。孔子は経営全般に詳しくオールラウンダーであり、孟子は経営者に経営を説くだけの経営コンサルタントだといえる。孔子は経営者に上に立つ者として自らを律することが大事だという。そして親兄弟を大事にし社員を慈しみなさいという。経営者と社員が互いの職責を果たし互いに信頼し合うことが大切だと説く。
一方、孟子は経営者にひたすら経営者としての在り方を説いていく。孔子と同じく経営者自らが己を律することは当然として、経営者が公私混同をすることなく社員と共に喜びと楽しみを同じくするよう説いている。さらに経営者にコンプライアンスの徹底を強く勧める。利益を求める前に社員の幸せと社会正義を大切にしなさいと言っている。
孔子と孟子の人となりについていうと、孔子は苦労人で、たくさんの弟子に好かれる好人物といえる。孟子はどこか孤高を楽しむ帰来があり、好人物とは言い難いところがある。どちらの人物がどうということではないが、友とするには孔子は親しみやすく、孟子はたまに会って刺激をもらうのが良さそうに思える。当時の諸侯や王たちに二人はどう思われていたのだろう。
孔子は生国魯の国で大臣をして以来、諸国を遍歴したがこれという重責を与えられることなく生国に帰ることになる。孟子は遍歴する際、自分は王の師匠であり賓客であるとの自負から弟子数百人を従えていたといわれている。自負心、自尊心が強く自分が理想と思われる王との出会いが少なく長く留まることが無かったという。
孔子、孟子とも自分が理想とする役職、ポジションに就くことがなかったことは共通している。当時の諸侯、王たちからすると両人とも理想の政治ばかりを説き、彼らが欲する実利にはまるで無頓着であった。当時の為政者からすれば自国を他国から守ること、他国を侵略して大国となることなどの富国、強国策が必要であったにもかかわらずだ。
彼ら二人が今、経営コンサルタントとして生きていたならどうだろう。経営者に会社の利益の話をする前にご自分の身を正しなさいと相変わらず云うのだろうか。そして経営者からあの経営コンサルタントは今のこの時代をなんと考えている、時代錯誤も甚だしいと云われることになるのだろうか。会社がどうすれば生き残れるのか話して欲しいと云われているだろうか。
親子経営コンサルタントとして私が経営者と後継者に話していることは、おこがましい限りだが孔子、孟子が云われていることと同じ話をさせてもらっている。親子兄弟の関係性を説き、経営者として人の上に立つ者と同じ在り方をして欲しいと説いている。上に立つ者の在り方が定まれば自ずと人が動き利益が後から生まれてくる。
2500年の時を経ても人の営みはそう変わりがない。孔子、孟子をありがたく「尚友」としてこれからも売れない経営コンサルタントを続けていきたいと思う。彼ら二人と同じように顧客から「先生、そう理想ばかり言わず、どうすればもっと儲かるのか話してください」そう言われながらも、「社長、そう言わず、まずご自身の身を正すことから始めましょう」そう言い続けていこう。