親子経営 繁盛と繁栄の秘策 父親がしてはならない7つのこと 4 謙虚であること (2015年10月27日)
ビジネスコラム謙虚であること
成功されているオーナー企業経営者にこれまで数多くお会いしてきました。いろんなタイプの経営者がいるものです。なかには驚くほどとても謙虚な経営者に出会うことがあります。
話を伺ってみるととても数奇な人生を歩んでこられ、人並みでない苦労を重ねてこられたにも関わらず、淡々として大変慎ましやかであったりします。そういう経営者とお話しした後は、こちらの心までなにやら落ち着き妙に安心感が得られたりします。
それとは真逆で正に我こそ成功者だと主張しているかのような方がいます。この方の話も同じようにとても面白く、それこそ立身出世を絵にかいたようであったりします。その経営者の人生の物語を聞かせてもらうのですから面白くないわけがありません。
話を聞くうちに、節々にその経営者の不遜な顔が少しずつ見え隠れし始めます。よくよく聞いてみると自慢話としか思えなくなります。こういう経営者とお話しした後は、こちらの心がなにやらざわざわと落ち着かず妙に不安を憶えたりします。
今たまたま読んでいる本のなかに、戦国時代の禅僧で大名にもなった安国寺恵瓊が毛利方へ織田方の情勢を報告した書状が載せられていました。そのなかで織田信長と豊臣秀吉を評した有名な一節があります。
「信長の代、五年三年は持たるべく候。明年あたりは公家などに成らるべく候かと身及び申し候。左候て後、高ころびにあおのけにころばれ候ずると見え申し候。藤吉郎さりとてはの者にて候。」(吉川家文書)
当時、恵瓊は毛利の外交僧として上方の情勢や権力者の人物評を冷静に分析していました。この書状で恵瓊は信長の死と秀吉の台頭を言い当てています。日の出の勢いである信長の生き様のなかにある種の危うさを感じ取っていたのでしょう。
信長は「天下布武」を標榜し文字通り天下を治めようと孤軍奮闘していました。信長像として傲慢、不遜、増上慢、独善などの面があったことは否めません。まさにその面が恵瓊をして危ういと言わしめたのではと思われます。
論語の一節に、「君子、重からざれば則ち威あらず。」とあります。なおかつ「威にして猛からず。」ともあります。
私なりに読み解きますと、「経営者は軽々しくなく重々しくなければならない。そうでなければ威厳が保てず侮られる。」「経営者は威厳や権威があるにもかかわらず猛々しくはなく慎まやかである。」と、いうことでしょうか。
オーナー企業経営者は自分の威厳、権威を保とうとして重々しさを装おうとします。「威」というのは装おうとしたり「威」を張るものではありません。また見かけや見栄えではなく人間としての徳が備わってこその「威」だと言えます。
人徳がある経営者には自然と威厳が備わります。無理に重々しさを装う必要などありません。そして人徳がある経営者は決して猛々しいところがなく常に謙虚で慎ましやかなものです。
一代で身代を築き上げてきたオーナー企業経営者が常に謙虚であることは難しいことかもしれません。知らず知らずのうちに傲慢で独りよがりになっていることにも気づかず、「高ころび」の危うさにも気づかずにいるのかもしれません。