「番頭」養成塾始めます (2012年6月15日)
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中小企業経営者の悩みの一つが、右腕が欲しい、右腕になる者がいないということです。
わたしが言う右腕とは、後継者ではなく、いわゆる「番頭」さんです。
後継者と右腕の違いについては又の機会でお話しします。
ここで言うのは、「番頭」でも「大番頭」を持とうという話です。
かつて、わたしには、本社に一人と子会社に一人の右腕と呼べる幹部社員がいました。
わたし自身は後継者で30歳から社長をしていました。
そのころの一番の悩みが、誰か頼りになる社員がいないものかということでした。
残念ながら、当時は親父からの古参社員ばかりで、しかも親類縁者が多くいました。
当時、30年くらい前の話ですが、わたしの会社はすでに20億円程度の売り上げをしていました。
田舎ではそこそこの企業でした。
わたしが大学を卒業して入社したときには、社員28名位だったと思います。
親父が社長で、ナンバー2がいなく、営業部長が最高幹部でした。
その営業部長はわたしの従兄でした。
よくある話で、親父は身内をたくさん会社に入れていました。
彼らの出来が良ければよかったのですが、どうも社外でも社内でも評判が芳しくありませんでした。
そんななか、入社3年目でわたしは自分で専務職に就きました。
当初は、社内では四面楚歌の状況で、誰一人として相談に乗ってくれるものもいませんでした。
それ以来、30歳で社長になり、長い間、誰か右腕になってくれる人がいたらと、いつも思っていました。
社内の人間を引き上げ幹部に登用してみたものの、それらしい働きができません。
わたし自身が社員を育成できなかったのも事実です。
若くして社長になったわたしは、なによりも社外で取引先での評価を貰おうと必死でした。
社員とのコミュニケーションを疎かにしたのもわたしの間違いでした。
そんなわたしに右腕となる社員が出来たのは、その後20年近く経ってからの話です。
ひとりは知人の紹介で、ある商社で支店長をしていた方でした。
もうひとりは、ある大手企業の子会社を株式譲渡してもらったときのプロパーの方でした。
その二人を得たときの喜びはとても大きなものでした。
なにしろ、長年、文字通りひとりで経営してきたものですから、心から信頼できる社員を得た嬉しさは、未だに忘れることができません。
惜しむらくは、あまりにも二人との出会いが遅かったことです。
二人と出会った4,5年後に会社が倒産しました。
もう少しはやく出会いたかったと、今も悔しい思いがしています。
わたしの不徳の致すところとはいえ、彼ら二人にもっと活躍の場を与えてやりたかったと思いますし、もっと長く彼らとビジネスがしたかったと、しみじみ思います。
そんなわたしの想いがあり、少しでも世のなかの経営者の方々のお役にたてばという気持ちで、この度、「番頭」養成塾、始めます。
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向こう3年で、子息に継がせたい社長
経営者と後継者のコーチだからできる
親から子への事業継承コンサルティング
ビジネスデザイナー・エグゼクティブコーチ
大石 吉成
ビジネス・イノベーション・サービス(株)
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