ヘッセの「シッダールタ」を読む (2015年2月2日) 

敬天愛人箚記

ヘッセの「シッダールタ」を読む

私の本の読み方は乱読、多読を常としています。
よって2回と読み返すことはありません。
あるとすれば読んだことを忘れて買った結果読んだにすぎません。

そんな私がヘッセの「シッダールタ」を3度読みました。
それも続けざまに読み返しました。
勿論この本が素晴らしいからであるのは言うまでもありません。

そもそもこの本を読むきっかけは、私の友人がこれを600回以上は読んだと言ったからです。
彼はこの本以外にも500回以上読んだ本がいくつかあると言うのです。
そういうことを普通に表情を変えることなく話す人にこれまで出会ったことがありません。
それを聞いた日に早速この本を買って帰ったというのが真相です。

初めはただ単に彼がどうしてこの本を600回以上も読んだのだろうかという興味本位でした。
読み始めてみると結構難解な本で、1回ではストーリーを追うのが精いっぱいでした。
なんとなく彼が何度も読み返した理由が分かってきた気がしたものですが明確ではありませんでした。

私が自分から進んでもう一度同じ本を読んでみようと思ったのは初めてのことです。
2回読んでみると読み落としや読み飛ばしが多いことに気付きました。
なおかつ読み切ったという思いがありません。
もう一度だけ読んでみようとまた手に取りました。
3度も同じ本を初めて読み返しました。

彼がなぜこの本を600回以上読み返したのか、私には今すこし分かる気がしています。
それ以上に私が出会うべくして今この本に出会ったということがとても不思議で嬉しく思えています。
私が今一番この本を必要としていました。

おそらく学生の頃に読んだとしても多くの中の一冊でしかなかったでしょう。
事業経営をしていた頃の私が読んだとしても心を動かすことは決してなかったでしょう。
不思議なものです。
今の私には一語一語が心に染み入るように伝わっています。

この先、私はこの本を4回、5回と読むことになるだろうと思います。
その度ごとに深く本に入り込むことでしょう。