末席からの風景 (2012年1月7日)

敬天愛人箚記

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年末年始ともなると、たくさんの宴会やパーティーが開かれます。それこそいろんな団体が主催します。私もかつて、業界団体主催のものから各種団体主催のものまで数多く出席し、なかには一日で3つの会を掛け持ちなんてのもありました。そのころの私は企業の社長であり、各種団体の長でもありましたので、宴会等では上席あるいはそれに近い席に据えて頂いておりました。その頃は、それがすっかり当たり前のことでした。

今の私は、そういう会に行くことも無くなりましたが、かりにどこかのパーティーに出ることがあっても、末席に座ることになるでしょう。何故なら、今の私は何者でもないからです。以前の私は、そういった会に出席し、まず座席表を見て、自分の位置を確認して、自分がこの会にとってどれだけの存在なのかということを確かめていました。上席ならよし、次に上席に近ければ近いほどよし、といった具合でした。全く鼻持ちならないいやな奴でした。浅はかで、なんと無意味なことに気を揉んでいたのかと思ってしまいます。

一度、末席に座ってみると、これがまた思った以上に居心地がいいものです。決して負け惜しみではなく、実際そうなのです。誰に酒を注ぎに行くでもなく、誰も酒を注ぎに来るわけでもなく、ただ末席に座って宴会の雰囲気を一人楽しみ、酒と食事を好きなように頂けるのです。そして、末席から見ると、人々の動きが実によく分かるものです。上席の方では、お目当ての上客のところへ、お上手の一つでも言いながらお酌をしようとたくさんの人が群がっています。上席に座った人たちは、さも、ひとかどの人物であるかのように振る舞いながら、人々のお酌を受けています。上席に座っていると、全体がよく見えています。今日は、あいつは酒を注ぎに来たが、あいつは注ぎに来なかったとか、実にそんなことだけはよく見ているようです。酒の席は無礼講とよく言いますが、酒席ほど上下関係を弁えて臨まなければ、後でとんでもないことになります。上席に座っていると、そんなことばかり気になるものです。酒席で礼を失した者のことは決して忘れません。

俯瞰という言葉があります。高いところから広く見渡すことです。まさにこれは上から目線です。確かに高所から見ることで、全体がよく見えます。誰がどんな動きをしているのか、全体がどのような動きをしてどこへ向かっているのかといったことがよく見えます。ビジネススクールで俯瞰という言葉がよく使われます。確かに上に立つ者、リーダーは全体が見えていなければ話になりません。しかし、現場においては、それだけでは足りません。メンバー一人一人の心の動きが見えてこないのです。リーダーは自分の周りの幹部たちを掌握しているだけではだめです。メンバーそれぞれがどのような気持ちで動いているのか知っておく必要があります。そのためには、一度、末席に座ってみることをお奨めします。末席から下から目線で全体を一度、眺めてみることです。それまで見えなかったことが、たくさん見えてきます。メンバーがそれぞれのチームリーダーをどう評価しているのか、幹部たちがどう思われているのかなど、以前には思ってもなかった事実が次から次へと明らかになるでしょう。上に立つ者は、上から目線と下から目線を合わせ持たねばなりません。それは、意識して行うことで実践されます。

今の私のようにフリーランスで仕事をしていると、これまでのように会社や組織に守られることなく、一人で世の中で立っていかねばなりません。世の中の末席に座って、したたかに仕事を得ていかねばなりません。反面、末席だからの気安さや強さにも気づきました。世にいう、ひとかどの人物とは、上席にいても末席にいても、なんら変わることなく、淡々と己の酒席を楽しんでいる人のことではないかと思ったりします。