現代日本人気質 (2911年9月23日)

敬天愛人箚記

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今の日本人を考えるとき、気になる3つの気質が思い浮かびます。その一つが、日本人独特の空気感です。日本が島国であること、長年、農耕社会であったこと、そしてムラ社会であったことなどが大きく影響しているのかもしれません。空気とは場の雰囲気や場にいる人の心理状態とも言えます。空気を読む、空気を感じる、空気になじむ、空気に逆らう、空気を見方にするなど、いろんな表現に使います。

かつて評論家の山本七平氏が著書のなかで、日本人特有の空気に流される気質にたいし、まるで振り子のようであると言われていました。振り子はご存じのとおり、右に左に大きく振りあがり、上がりきるまで降りることはなく、降り始めるといい加減のところで止まることなく、また上がりきるまでもどることがありません。氏は日本の戦前と戦後を語るとき、まさに振り子の様相であったと言っています。戦前は軍国主義へとまっしぐらに進み、戦後は一変して1億総懺悔へと変化しました。大きく振り子が右に振りあがり、行くところまで行ったのち反転し、ちょうどいい加減のところで止まることなく、今度は左に振りあがり行くところまで行ってしまう、そんな繰り返しを私たちはしているのではないかと、氏は言いたかったのでしょう。考えてみるに、日本人とはなんとも器用な生き方をするものです。自分という主体が無く、その場を支配する何か大きな力や、だれかの大きく力強い声に、その場の空気が左右され、方向づけられます。個々は何となくおかしいなと思いながら流されています。いろんな場面で、私たちはそんな経験をしています。

もう一つは、私たちは熱しやすく冷めやすいということです。私たちは何か大きな事件があると、朝から晩までテレビなどマスコミが大騒ぎをします。しかし何日か過ぎると、ピタリと報道が止み、何もなかったかのように事件のことなど忘れ去ります。大きな騒ぎにするのも早ければ、まるで何も無かったかのごとく、忘れ去られるのも早いものです。このたびの原発の問題もしかりでしょう。今後どうすべきかの国民的議論を重ね、政治的判断がされるべきときであるにもかかわらず、それすら少しずつ国民の意識が薄くなりつつあるように思われます。

最後にもう一つ、それは私たちは、あいまいさを好むということです。私たちは何か問題が起きたとき、論理的に理詰めで問題を解決しようとはしません。故に、問題の本質を明らかにすることができません。あいまいな状態で終わらせることが、とても多いのです。これには、私たちが受けてきた学校教育が大きく影響していると考えられます。何しろ私たちは、答えの無い問題を解くことに慣れていません。学校ではいつも答えのある問題を勉強してきました。しかし、現実社会で起きる問題には決められた答えがありません。問題の本質を見極め、イシューを確定し、どう対処するのか、新たに答えを創造せねばなりません。私たちは、景気という言葉をよく使います。この言葉は便利ではあるけれど、意味はあいまいで漠然としています。景気がいい、悪いの判断基準が判然としないのです。にもかかわらず、私たち企業人、経済人ともに好んでよく使います。経済動向を示すいろんな資料やデータがあるにもかかわらず、分析し、解明しようとせず、景気がいい、悪いということでお茶を濁しています。

日本人の多くが、同じ歴史と文化の背景を持ち、同じ土壌で育ったという同胞意識を持つおかげで、私たちは同じ空気感を共有し、同じように熱しやすく冷めやすく、そして同じように、あいまいさを好んでいるのかもしれません。