緑内障の顛末 (2012年6月27日)
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わたしは、何年か前から緑内障を患っています。
病院へは行ったりやめたりの繰り返しです。
この病気の治療法は薬を点し、眼圧を下げるというものです。
一日に一度、点すだけでいいのですが、どうしても忘れてしまいます。
また、この薬を点すと充血するのも難点のひとつです。
普段でもわたしは、白血病の薬の副作用で充血があります。
そのうえにこの目薬を点すと、よけい充血がひどくなりそうで、点すのをやめていました。
1年ほどまえ、自宅近くの眼科医に行きました。
その医者は80歳くらいの好々爺とした、とてもやさしそうな老医でした。
受付には65歳くらいのおばさんがいて、中には70歳は越していそうな看護婦さんが二人いました。
客は誰もおらず、すぐに診察してくれました。
そして、その老医が言うのに、「たしかに緑内障ですね。わたしのところでは緑内障の患者はまず、K病院をご紹介しています。そこには緑内障治療では有名な先生がいます。どうですか」
「では、よろしくお願いします」
「精密検査をして治療がおちついたなら、またこちらに来ていただいてもいいですよ」
そんな訳で、わたしは少し遠いですが、大きなK病院へ通いました。
4,5か月は通ったでしょうか、「治療が落ち着きましたから、元の眼科医さんのところにもどりますか。診断書用意しますよ」
そう言われ、また元の老医のところへ行こうと思いながら、今日まで半年が過ぎていました。
今朝から、あまりに充血がひどいので、あの老医のところに行こうと思い出かけました。
1階の眼科医のプレートのところに、在、不在を示すところがあるのですが、なにも掛けられていませんでした。
年も年だったから、もう辞めたのかもと思いながら2階に上がりました。
扉に張り紙がありました。
「当院院長がご逝去されました。よって、当院は閉院いたしました。みなさまには長らくのご愛顧感謝申し上げます」
わたしは心のどこかで、このことを予想していたような気がしました。
あの70過ぎの二人の看護婦さんと65歳くらいの受付嬢はどうされたのでしょう。
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大石 吉成
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